アラフォーおひとり様、脱サラしてフリーランスになる

FIREして週休4日のフリーランスになります。

白いカラーボックスが捨てられなくて恋人と別れた話。

お題「断捨離」

 

断捨離と聞いて思い出すのは白いカラーボックスのことだ。

 

当時、同棲予定だった彼氏と、新居に持っていく家具のことで話し合った。

私は手持ちの白いカラーボックスを新居に持っていくといったが、彼は「安っぽい」という理由で反対し、捨てるように指示した。

実際に高いものではない。たかだか、2~3000円程度の量産品の安物家具である。

 

だが、私は捨てられなかった。

自分がカラーボックスを手に入れるまでの頑張りや思いまで無造作に捨てられるような心地がしたのだ。

私は何度交渉しても持っていくことを許してくれない彼に、激しい怒りを覚えた。悲しさのあまりさめざめと泣いた。もし退去届を出した後でなかったら、その場で同棲を止めていただろう。

私にとってこれがどれだけ意味のあるものかも知らないくせに。

彼の冷ややかでぞんざいな態度は、カラーボックスではなく私への扱いのように感じられた。

 

話は子供時代にさかのぼる。

私が子供の頃、両親はお金のことで喧嘩したり、泣いたり、キレたりしていることが度々あった。

「うちは貧乏だから」というのも耳にタコができるほど聞いた。

回転ずしで好きな皿に手を伸ばした瞬間言われるので、おなか一杯になる前に箸をおいていた。

両親はお見合い結婚した当初から憎みあっていたようだ。それでも子供を3人も(!)作ったのは、それが世間体を保つための”お勤め”だったからだろうか。

父は社会で生きていけるほど強い人ではなく、母はそんな父との結婚は初めからしたくなかったのに子供を作ってしまったせいで……と日記に書いていた。

母は私によく「気に入らないなら今すぐ出ていけ」と言った。

自分で仕事して、自分の稼いだお金で好きに暮らせばいい。文句を言うならこの家から出ていけばいい。

理屈はわかるのだが、まだ小学生だった頃の私にとって、それは死の宣告と同義だった。北国の寒い冬を、表のどこでしのいだらいいのか見当もつかなかったし、食料なしで何日生きていけるのか想像さえできなかった。当然、世間に児童相談所や子供の保護施設があることもわかりはせず、見捨てられたらあとは野垂れ死ぬ結末しか思い描けなかった。回避するためには口答えしてしまったことを詫びて、へつらって、どうにか家においてくださいと懇願するしかなかった。

だから、私は家を出るまで何も持っていなかった。

自分の部屋も、家具も、服も、すべては親の所有物で私はそれを貸し与えられているに過ぎないのだと自覚していた。

お前には貸さない、と言われたら返すしかない。

お前に選択は許さない、と言われたら我慢して従うしかない。

肉体や命は私のものではなかったので、一週間何も食べられず吐き続けても病院に行くことは許されなかった。「食べないから治らないんだ」と胃に無理やり食べ物を詰め込むまで責め続けられ、そのたびに痛みは悪化した。(多分、胃腸炎だった)

進路や将来も私のものでなかった。母は、「女は下手に学歴がついて嫁の貰い手が無くなっても困るから」高校卒業したら母指定の職業になるように私に告げた。母のパート仲間が今はもうそんな時代じゃないよと説得したことで進学を許された後も、受験費用を出すことを渋り、当然のように進学先も親が決めた。在学中の生活費や授業料を奨学金で賄って返済するのは私なのだから、そのくらい自由に決めさせてもらってもよさそうなものだが、父が言うには「親が奨学金の連帯保証人になってやったから借りられたんだ。だから、親のおかげ」らしい。そして、奨学金のことは伏せたままであたかも自分の稼ぎで子供を3人も進学させた父親であるかのように近所に自慢していた。(実際には働かないことや、家にお金を入れず自分のギャンブルに使うことが多々あった)

私は自分がいかに何の権利も持っていないかを知らしめられ、何もできない木偶人形のように学生時代を過ごした。

 

転機がやってきたのは大学進学後である。

他県であったため、親元を離れた私は少しづつ洗脳が解けていった。

自分のことを決める時、誰かにお伺いを立てなくていい。

自分の人生の選択をする時、自分の感情より親の機嫌を優先しなくていい。

そんな事実に少しづつ触れていった。

紆余曲折を経て、よちよち歩きながらも自分の意思というものを持ち始めた私にとって、就職して初めての給料は長年の親の呪縛を解く魔法のアイテムだった。

それまで実家から持ってきた家具や、”親のおかげ”の奨学金で購入した物しかもっていなかった私にとって、ようやく自分の力で稼いだお金で自分の物を買える機会を得たのだ。例の白いカラーボックスは、この時私が初めて購入した家具である。

 

私にとってあのカラーボックスはただの物なんかじゃなかった。

自らの自由を象徴し、証明するトロフィーにも等しかったのだろう。

他人にはただの安物かもしれないが、自分にとっては大事な思い出なんだと訴えても、理解を得ることは難しかった。

彼にとってみれば、思い出はこれから二人でつくるんだから何の問題があるのか?ということだったのだろう。私だけがくだらないささいなことにこだわっているように感じたようだった。

彼とはこの時のことがきっかけで不信感が芽生え始めて後々お別れすることになったが、今は友人の一人としてよい付き合いをさせてもらっている。

 

現在であるが、私はそのカラーボックスを所持していない。

見事断捨離に成功したのは、定番だがこんまり著『人生がときめく片付けの魔法』を読んでからだ。

詳しい内容は忘れてしまったが、捨てられないのは「物」ではなく「気持ち」なのだということが示唆されていて、ようやく私はカラーボックスに異常に執着してしまう理由に気づくことができた。そして、物は「捨てる」のではなく、「送り出す」のだということも。

捨てる時にありがとうと言う気持ちを込める。たったこれだけのことだが、ようやく私もカラーボックスに込められた自らの気持ちを弔うことができたように感じられたのだった。