3500万円が貯まるまで⑬「そして、私だけが残された」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって転職を繰り返し、15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回はサブリーダーとなった先輩派遣社員Sさんの指示通りにするも、リーダーが戻ってくると「違う。それじゃない」と言われ続けることにストレスを感じてというところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
リーダーへの相談
私はリーダーに面談の時間を作ってもらって、どうしてもリーダーとSさんの指示が食い違ってしまうことを相談しました。言葉のニュアンスが微妙だとかはともかく、文章を長くしてほしいと短くしてほしいのように完全に食い違ってしまう点については、「まだチームが発足したばかりだから」では説明がつかないと。どうしたらいいのか悩んでいるので、一緒に考えて欲しいと頼みました。
リーダーは暗い顔をして教えてくれました。
「Sさんが自分の指示と食い違うのは以前アシスタントについていた別の社員のやり方に倣(なら)っているからで、自分としては新しいやり方に変えて欲しいのだけどすでに水を吸ってしまったスポンジのようにそれがなかなか入っていかない」のだと。
実は他の2人のメンバーからも同じ相談は受けていること、リーダー自身もどうしたらいいか妙案がなくて困っていることも話してくれました。
ダメ元で指示系統をリーダーから直接メンバーに指示を下ろすように変えられないか提案してみました。メンバー全員で新しいやり方に順応しに行った方がまだ助け合ったりも出来るのではないかと思ったためです。
「できるだけそうしてみる」とリーダーは言いました。
でも、実際は相変わらず会議で朝から不在の時間が多く、実質的には何も変わりませんでした(週に何度かリーダーとSさんだけの打ち合わせが続きました)。
最初の異変
入社してひと月が経つか経たないかの頃、最初の異変が起こりました。
長期の予定で入ったはずの3人の派遣社員のうち、一人が急に辞めることになったのです。
その人は明るくはサバサバとした派遣らしからぬ女性でした。『派遣らしからぬ』と書いたのはなんというか雰囲気があまりにも堂々としていたためです。この人をキャリアウーマンさんとします。
実際、キャリアウーマンさんはつい最近まで正社員の企画職でバリバリ働いていて、結婚を機に退職して派遣社員になったそうです。子供が欲しくて妊活しているので長時間労働はできないからと。未経験の職にも関わらず、物おじせず意見を言って様々な提案もしていました。雰囲気だけ見れば誰も彼女が派遣社員だとは気づかなそうなほど自信に満ち溢れた人でした。
実はSさんも結婚して妊活のために派遣になったという点で二人の経歴は似ていましたが、キャリアウーマンさんとSさんが一緒に並ぶとなぜかSさんの方が後輩に見えることが多かったです。キャリアウーマンさんの提案に対してSさんが「それってなんですか?」と質問する場面が目立ったからかもしれません。
(ブレインストーミングとかKJ法とかそんな感じのことを話していたんだと思います)
キャリアウーマンさんは知り合いから転職先を紹介されて急にそこに行くことが決まったとリーダーが言い、本当に急に決まって急に辞めていきました。リーダーに彼女の離脱の話を聞いてから退職まで5日もなかった気がします。
びっくりしつつお別れのセレモニー的なものをどうしようかともう一人の派遣さんと話していたら、リーダーが言いました。
「別にやんなくていいっしょ!」
その言い方がなんだか突き放すようで、私ともう一人の派遣さんは思わず顔を見合わせたのだけれど、「入社して一か月未満ならそんなものなのかもしれないな」と思って気にしないことにしました。派遣先はここで二件目だったので、案外それが普通なのかもしれないとも。
……本当はこの時に異変に気づくべきでした。
次の標的はベテランさん
ここでもう一人登場人物を紹介させてください。
その当時私たちのチームはリーダー、Sさん、派遣3人の5人チームだったのですが、デスクの配置的に同じチームではないけれどもう一人メンバーが同じ島にいました。
仮にこの人を風船ガム先輩と呼びます。帰国子女だそうで仕事中にずっとガムを噛んでいたからです。アメリカ映画でガムを噛んでいる学生がよく出てきますが、そんな感じで常にガムを噛んでいました。
その人は長いこと一人で重要度の高い仕事を任されているらしく、直属の上司は同じフロアの10人くらいのメンバーを取りまとめる敏腕社員で、うちのリーダーの先輩(上司?ではなかったと思う)にあたる人でした。入社直後の歓迎飲み会で、リーダーがこの先輩社員のことを「あの人は本当にすごい。とても尊敬している」と心酔したように褒めちぎっていたのを覚えています。
この風船ガム先輩とSさんは非常に仲が良いらしく、休み時間のちょっとした時間にもよく二人で言葉を交わしていることがありました。うまくチームがまとまらないことの相談をしていたりもしたのかもしれません。
当初Sさんは新しいチームメンバーと打ち解けるためか、ランチは風船ガム先輩とではなく私たち同じチームのメンバーと取っていたのですが、キャリアウーマンさんの退職を機にこの体制が崩れました。
「今日のお昼は別で食べません?」
そんな提案を機にSさんは度々風船ガム先輩とランチに行くようになり、残った私ともう一人の派遣さんもわざわざ二人で集まってお昼を食べるのを辞めました。私自身ランチは一人で食べる方が気楽なのでこの提案自体はありがたいものだったのですが、おそらくこの頃すべては加速していったのだと思います。
お昼を別々に食べるようになってから数週間後、今度はもう一人の派遣社員に異変が起こりました。OA事務の経験が長いベテランだとリーダーに紹介されていたので仮にベテランさんと呼ぶことにします。
朝は普通に出社して仕事していたベテランさんの顔面が、お昼休憩後には蒼白になっていました。能面のような無表情にときおり口元がひくひくと震えていて、激しい怒りが読み取れます。忙しない動きで無言で荷物をカバンに纏めていて、とても話しかけられるような雰囲気ではありません。
私はなすすべもなくその様子を見守っていたのですが、ふいに女性二人のクスクス笑いが聞こえてきました。
Sさんと風船ガム先輩が二人でぴったりと寄り添って、ベテランさんを見ながら囁きあい、そしてまたベテランさんの方を見て笑い声を漏らしていました。
ベテランさんの荷物を荒々しく纏めていた手は一瞬止まり、二人をキッと睨みつけました。
むき出しの憎悪を隠そうともしない目で、こんな表情は昼ドラ以外で見たことがなかったです。
そして、私だけが残された
荷物を鞄につめ終わるとベテランさんはドアを激しく閉めながら足早に執務室を出て行ってしまいました。
「ベテランさん、どうかしたんですか? 午後は戻ってくるんですか?」
その間ずっとペットボトルの飲み口をかじりながら席に座ってノートパソコンのモニタだけを眺めていたリーダーに、私はそんな間抜けなことを聞きました。
「帰ってもらった。午後は戻らないよ。明日からもう来なくていいよって言ってあるから」
リーダーはモニタから視線をはずすことなくそう言い放ちました。
私はそれ以上何も聞けなくなりました。
デスクの向こうからSさんと風船ガム先輩がクスクスと笑っている声が聞こえました。二人の視線の先に私がいることは、そちらを見なくてもわかりました。
続きます。
次回:3500万円が貯まるまで⑭「職歴に2度目の✖をつけたくなかった」
最初から読む:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
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あとがき
派遣社員が正社員より堂々としてはいけないという法律も決まりもありませんが、正社員より出しゃばらず相手を立てるべしという不文律のようなものは当時感じていました。なんか中世の身分制度みたいですよね😅
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3500万円が貯まるまで⑫「まるで拷問のよう」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって転職を繰り返し、15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は2回目の派遣先で時給1550円の広告アシスタントになるも不穏な影が…というところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
前回:3500万円が貯まるまで⑪「3か月後に誰もいなくなる職場」
チームメンバー
まずメンバー構成として、正社員のリーダー1名にたいして、すでに1年ほど前から派遣されていた先輩派遣社員(Sさんとします)が1名。さらに私を含めて同時期に入った新しい派遣社員が3名です。
リーダーは先輩派遣社員のSさんをサブリーダーとして育てたい意向があったため、リーダー→Sさん→私含む3人の派遣社員の順で指示系統を敷きたいというお話でした。こちらとしてもリーダーは会議などで日中不在にすることも多かったので、すぐ隣にいて質問できるSさんがリーダー役をしてくれるなら、特に異論などあるはずもありません。しかし結論から言えばこれは機能しませんでした。
すれ違い
例えば、広告に必要なタイトルや説明文を作る際、使用する言葉のイメージ(親しみやすいとか固めとか呼びかける感じなど)をもとにある程度作業者自身で考えて作るのですが、なんというかこのイメージがものすごくズレるんです。リーダーが会議から帰ってきてチェックしてもらうと「違う。これじゃない」と大体作り直しになっていました。
「でもまあ、言葉のニュアンスなんて微妙なものだし、始まって間もないチームならお互いのイメージがすりあわなくてもしょうがないよね」と思ってそのたび作り直していました。
もちろん同じことを繰り返さないために対策も考えました。
先にSさんから聞いたリーダーの指示したイメージに近いキーワード群をいくつか考えてリストを作成、それをSさんに見せながら実際に使いたいキーワードに〇をつけてもらうようにしたんです。ニュアンスだけで会話してイメージがずれるなら具体的に単語を指定してもらうのが確実ですし、これを繰り返していくうちにお互いのイメージもすりあってくるんじゃないかと考えました。
キーワードの選び方をお互いに確認しつつ、Sさんに〇をつけてもらったそれを使ってタイトルや説明文を作りました。そして、終業間際になって戻ってきたリーダーに確認を仰ぐのですが……やはり「それじゃない」と言います。
極めつけは、文章の長さに対する指示です。
Sさんはできるだけ長く文章を作って欲しいと言いました。「文字数制限ギリギリまで使って文章を長くした方がたくさんアピールできるでしょう?」と言って、私の作った少し短めのタイトルや説明文の書かれたエクセルを直してみせました。私も関数を使って実際に文字数をカウントしながら40字ギリギリに文章を作り直していきます。
その後リーダーが戻ってきてこう言いました。
「あー、長くしちゃったのか……文章はできるだけ短く作ってほしかったんだけど。ダラダラ書いても全部読まれないし、それならスパッと直感に訴えたいんだよね」
……長くしてほしいと短くしてほしいは正反対すぎます。
もはや、言葉のニュアンスが難しいとかいうのとは別のところに問題があることに私も気が付きました。
まるで拷問のよう
入社以降ずっとこんな調子でしたので、仕事の進みはかなり遅かったです。時給制ですから私自身は金銭的な損失が発生しているわけではありませんし、残業もありません。ですが、半日~1日かけてやった仕事を「使えない」と言われてまたやり直すのはかなりストレスの貯まることでした。
某強制収容所では囚人に穴を掘らせたあとまたその穴を埋めさせるのを延々と繰り返す拷問があったそうですが、意味がないとわかっている仕事をすることは肉体的な疲労以上に精神にダメージを与えることができるそうです。私もこの時は仕事ができなくて怒られまくっていた新人時代とはまた違う辛さを感じていて、毎日少しずつメンタルがすり減っていくようでした。気分がスッキリせず、疲れの取れない日が増えていきました。
発足当初はわきあいあいとしていて楽しげだったチームの雰囲気もなんだかピリピリしていきました。
「私に聞かれても困ります!」Sさんがそんな声を荒げることさえあったのです。
手を打たねばと思った私は、リーダー社員に時間を作ってもらってこのことを相談することにしました。
続きます。
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次回:3500万円が貯まるまで⑬「そして、私だけが残された」
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3500万円が貯まるまで⑪「3か月後に誰もいなくなる職場」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は「仕事を好きになる」「自分から辞めない」の二つを決めたものの後者は完全に誤りだとのちに気づくことになる…というところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
次の仕事内容と時給額
私が次の派遣先に選んだのはリスティング広告の運用アシスタントでした。
リスティング広告とはヤフーやグーグルで検索した時に出てくるこういう広告の事です。
例えば、「プログラミング」で検索するとスクールの受講生を集めたい事業者の出向した広告が表示されますよね。ここに表示されているテキスト文言を考えて入稿したり、入札のためのモニタリングレポートを作成するのが主な仕事内容でした。
IT系と一口に言っても、プログラマーやシステムエンジニア、技術支援を行う情報システム部やインフラ設計、WEBデザイナーにコンサルタントまで、その職種は多岐にわたります。WEBマーケティングもその一つと呼んで差し支えないでしょう。一般的には画面に向かって何かのコードを書いているイメージが強いと思いますが、コーディングをしなくてもWEBに関わる仕事であれば大体IT系になるような気がします。
これをやろうと思ったのは、当時から副業としてアフィリエイトやドロップシッピング(いずれも広告を貼って集客に協力することで報酬を得る仕組み)がもてはやされていたことが理由です。派遣先でノウハウを学んで、あわよくば副業で稼ごうとしたわけです。ブログはサーバー代などを除けば特にお金はかかりませんが、リスティング広告は有料で他の入札者と広告枠を競り落とすことになります。お金はかかるけど、検索結果の一番上に表示させることもできるのでアクセス獲得の効果が絶大なんですね(よく検索されるキーワードほどお値段は高くなります)。
最悪正社員転職に失敗しても自力で稼ぐ手段が手に入ればそれでもいいかな、と思ってました😅
時給は前回よりさらに下がって1550円です。引き続きコールセンター勤務を選べば時給を維持することもできましたが、やりたい業務を優先させました。
派遣の「顔合わせ」は裏面接です
実は他のIT系職種も受けたのですが、顔合わせで落とされていました。
本来、派遣先の企業が派遣社員を面接・選考することは労働者派遣法で禁じられていますが、事前の顔合わせと称して値踏みはされます。
顔合わせの定義はこのようになっていますが……
- 派遣社員自らの判断で行われる事業所訪問である
- 事前の業務打合せ、仕事を受けるか否かを派遣社員自らが判断することが目的である
- 事業所訪問は、派遣先の評価を受けるためのものではない
実際は顔合わせで実務経験やスキルに関する質問も受けますし、派遣先が認めなければ就業することはできません。大抵顔合わせの後に派遣会社から電話がきて結果が知らされます。多分今でも行われていると思うし、公然の闇ですね。(^^;
にしても、前もって派遣会社が提示した案件に未経験でもOKだというから行ったのに、「顔合わせ」で「でも、経験ないんでしょ?難しいと思うよ」とはどういう言い草なんでしょうね? こっちの職歴ぐらい顔合わせの前にわかると思うのですが……とわざわざスーツを着て休日に自腹で都内まで出かけて行った私は文句の一つも言いたくなるのでした😅 短期で複数の会社を渡り歩けるという意味では労働者にとっても便利なシステムだと思うんですけどね。
そして誰もいなくなった
派遣先では広告代理店への委託ではなく自社で運用を行っていました。メインで業務を担当する社員1名(リーダー)とすでに派遣されていた先輩派遣社員1名。そこに今回の私を含む3人の新しい派遣社員が増員されて新チーム発足となったわけですが、新しく派遣された人は3か月以内に全員辞めることになります。もちろん私も。
……私はこの連載を書くときは先にまとまった経緯を思いだしながらメモ書きしていって、ある程度書き出したら1記事分ずつ詳細を書いていくというやり方をしているのですが、この記憶に関しては思い出すのを躊躇するくらい嫌な記憶として意識の奥底に眠らせていました。が、書き始めると鮮明にあれやこれやを思い出して、指が止まらなかったですね(^^; 気が付いたら明け方5時になっていて、箇条書きが全然箇条書きじゃない分量になっていましたw
この後、怒涛の鬱展開になっていくので人間関係や職場イジメにトラウマのある方は閲覧を控えるか、手をパーにして指の隙間からこっそり覗くなど自衛をすることをオススメいたします💦
大丈夫な方は供養のために読んでもらえたら嬉しいです。
次回に続きます。
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3500万円が貯まるまで⑩「決めたこと2つ」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は仕事で評価されたと思った矢先に大規模なシステム障害を起こし…というところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
前回:3500万円が貯まるまで⑨「人生最大のやらかし。仕事で評価されたと思った矢先……」
決めたこと二つ
前回の記事(3500万円が貯まるまで⑨)で書いた出来事は、異業種交流会で出会った人(3500万円が貯まるまで⑤)と同じように「働く人全般への信頼感」みたいなものを形成する基礎になりました。ほら、よく動物好きに悪い奴はいないって言うじゃないですか。それと同じで「仕事が好きな人に基本悪い人間はいないんだ」みたいな刷り込みがなされたわけです。そのくらいカッコよくて憧れたんですね、その人に。実際には悪い奴も嫌な奴にも出会いますが、そういうのは都合よく例外扱いされていきます(笑)。
この時、決めたことが二つあります。
- 自分から辞めない
- 仕事を好きになる
障害の後もしばらく居心地は悪かったです。それでも辞めて欲しいと言われない限りは自分から辞めるとは言わないことにしました。
そして、目の前の仕事を好きになりたいと思いました。そのためにはどうしたらいいか考え始めました。一朝一夕ではできませんし、今でも永遠のテーマです。だって、働くの嫌いですからw 朝目覚ましで起こされるのも、毎日決まった場所で決まった行動を義務付けられるのも、誰も幸せにならないことを「仕事だから」でやらされるのも大嫌いです。
でも、なりなかったんです。手に入れたかった。
子供がおもちゃを欲しがるのと同じように、その人たちの持っているものがどうしようもなく素敵なものに見えて私も欲しくなったんです。
ゲームオーバーまではサイコロを振る
残念ながらこの後すぐにコールセンターは閉鎖されてしまいます。
また1から仕事探しです。
派遣で働くことに居心地の良さを覚えていた私は次もまた派遣で探しました。
理由は3つ。
- 正社員では難しいホワイト大手でも派遣なら入れるから
- 短いサイクルで転職しても違和感がないから(正社員に比べて)
- やりたい仕事を選べるから
単純ですけど、仕事を好きになりたいならできるできないはともかくとして、やりたいことをやるのがいいだろうと考えたわけです。1年間ヘルプデスクに関わる実務経験と職歴を手に入れたことで、私の選択肢はやや広がっていました。時給を維持しようとすればまたコールセンターの仕事になってしまいますが、少し下げると未経験の仕事も選べるようになっていました。出来れば次の派遣先でもIT色の強い実務経験をさらに増やして、その職歴を元にまたさらに転職して……とやっていけば、最終的にIT業種への転職が可能になるのではないか?と考えました。
遠回りではありますが当時の私にはこれしか思いつかなかったですし、ダメでもともとですから細かいことは気にしませんでした。ゲームオーバーになるまで進めるところまでは進もうという心持ちです。
今ならプログラミングスクールに通うとかも思いつきますけど、その当時は社会人向けの講座も充実していなかったし、貯金もなかったですしね(^^; 今はプログラミング学習用の安価なアプリもあるし、本当にいい時代になったなと思います。
かくして、私は次の派遣先へと就業を開始するわけですが、ここで「自分から辞めない」が大きな過ちだったことを知ることになります。
続きます。
あとがき
センターの閉鎖理由ですが、採算が取れなくて外部に委託に出されることになったためです。
何年か後に偶然かつての派遣先の方から事情を伺うことができたのですが、もともと外部に業務委託していたのを内製でやったほうが安くなると目論んでコールセンターを立ち上げ。ところが、思ったよりコストが減らなくてやっぱり外部に委託しなおし……という流れだったようです。
社内からは「コストの都合で翻弄される派遣社員の人たちがかわいそうだ」と言う声も当時上がっていたそうですが、私は初めての派遣だったので「こういうものなのかな?」と思ったくらいでした。
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次回:3500万円が貯まるまで⑪「3か月後に誰もいなくなる職場」
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3500万円が貯まるまで⑨「人生最大のやらかし。仕事で評価されたと思った矢先……」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は社会復帰後の派遣先で順風満帆のスタートを切りやりたかった仕事の兼務を持ちかけられたところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
うっかりタイプの私が仕事で評価された理由
ITヘルプデスクの仕事を手伝うと言っても、定期的に発生する入力作業を代行するだけでそれ自体はさほど頭を使うようなものではありません。マニュアルの通りにやればいいだけです。それでも重要な機能が詰まったシステムにログインするので、人一倍丁寧さや慎重さが求められる仕事でした。セキュリティ上の理由からアカウント数も絞らなければいけないので、誰にでもというわけにはいかないものです。
私はもともとうっかりミスや勘違いが多いタイプなのですが、新卒の時にしこたま怒られたこともあり対策を取っていました。終わったばかりのタスクをすぐに提出しないで時間をおいてから2回、3回と何度も確認してから出すようにしていたのです。業務量がまだ少ない時期だからこそできた手段だと思いますが、社員の人からはミスが少ないと評価されていたようです。
正直に言うと、仕事ぶりが認められたような気がしてすごく嬉しかったです。こうして兼務が始まりました。
そんなある日、事件は起こりました
その日、私はいつものように兼務の設定作業をつつがなく終了して電話の仕事に戻っていました。しかし、午後になってにわかに社内が騒がしくなったのです。隣島のIT部門の人が時々声を張り上げながらバタバタと走っていくのが見えました。
管理職の机の近くで何人かで集まって話している人もいます。そのうちの一人と目があった気がしました。その人は歩いてコールセンター内の社員のもとまでやってきて何かを話しています。やがて、二人そろって私のところまで来ました。
「今日、〇〇の作業やってたのってヤモリさん?」
ここまで来たらお分かりかと思いますが、私はミスを犯していました。本来入力しなければいけないフォームではなく、誤ってその3段下に設定内容を書き込んでいたことで大規模なシステム障害を引き起こしていました。
「セミリタイア資金3500万円が貯まるまで②「ぶっちゃけ転職です」」で、IT職は一度にサービス提供できる相手に上限がないと書きましたがその逆もまたしかりで、損害を与える時もあっという間に広がっていきます。
どんどん緊迫した空気を纏っていく社内にいて、私は何もできませんでした。話を聞かれた後、顔面蒼白で身体の震えを抑えていただけです。
私は、このことで誰からも責められませんでした。
復旧作業の後も社員は事故報告や再発防止策の対応に追われていましたが、派遣社員が設定を間違えただけで重大なシステム障害を引き起こすような作業フローになっていることに気づかなかった社員のミスと捉えられていたからです。
誤解を恐れずに言えば、今ならこの考え方が「ヒューマンエラー(人為的ミス)は起こるものだ」という前提にたった至極当然の考え方だと私自身も思います。ですが、この時は責任を取れず償うことさえ出来ないことが身を切るように痛かったです。社員の方は深夜まで対応に追われる中、私は邪魔にならないよう帰宅することしかできませんでした。
事故翌日の出社
翌日、水を吸ったように重たく感じる身体を引きずって朝から出社しました。
本当は泣き出したいし逃げ出したかったです。でも、「ここで泣くのはダメだ。絶対にそれだけは」と心に決めていたので唇の内側を嚙んで耐えました。
出社した私に派遣仲間が気づきました。みんな昨日の騒ぎをしっていて「大丈夫だった?」とメンタルを気遣ってくれます。社員の方も私を見つけて駆け寄ってきました。
「来てくれてよかった~! 今頃すごく気にしてるんじゃないかと思って心配してたんですよ。……大丈夫ですか?」
ぎこちないながらも
「大丈夫です。ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありませんでした」
と応えました。
「力が及ばないのは重々承知の上ですが、なにか私に出来ることは……」
「ううん、大丈夫。後のことは私たちに任せて気にしないでね。あ、できたら〇〇さんにお礼だけ言いにいってもらってもいいですか?」
社員の方が言うには、その人は最初にシステムの異変に気づいてくれた人で発見が早かったため最悪の事態は免れたのだと教えてくれました。昨日は本当なら親しい同期の送別会に行く予定だったのを障害対応のために行けず、予定をキャンセルして遅くまで復旧作業に当たってくれたのだと聞きました。
仕事を嫌いにならないで
私がその方を尋ねると、他の人と同じように「もう大丈夫だから気にしないように」と言ってくれました。無駄とはわかっていても、ダメもとで「私に何かできることはありませんか」と尋ねました。するとこんな返事が返ってきました。
「ヤモリさん、このことで誰かに責められましたか?」
「いいえ、そんなことは全くありません」明確に否定しました。
「だと思いました。みんなわかってるんだと思いますよ。ヤモリさんが誰かに言われなくても自分ですごく反省していること。だから、私からもお願いです。もし、今回のことで責任を感じて何かしたいと思ってくれているなら、このことがきっかけで今の仕事を嫌いにならないで下さい」
それは辞められたら困るとかそういうニュアンスじゃなくて、本当にそう願って言ってくれているんだなということが私にも伝わってきました。
私は「はい」と声を絞り出しました。
続きます。
あとがき
今振り返ってみても、この時の障害は洒落にならないレベルでヤバかったです。もし、あの時異変に気づかれることなく一晩が経過していたら……と考えると肝が冷えるどころかカチンコチンに凍り付いたのち粉砕されそうです。
ある意味、私にIT職の洗礼をもたらした事件でもあり、様々な意味で一生忘れられない出来事でした。
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3500万円が貯まるまで⑧「幸せな職場」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は田舎から上京してきた無職が家賃3万円のアパートと派遣社員の肩書を手に入れたところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
前回: 3500万円が貯まるまで⑦「年収は下がったけど幸福度は上がった」
幸せな職場
当時の私の派遣先を一言で表すなら「キャイキャイ」してました。
マネジメントする社員を筆頭に20代の女性派遣社員を集めて新しく立ち上げられた社内向けのコールセンターで、ギスギスするような要素はほとんどありませんでした。
まず、インバウンドでかけてくるのも社内の方ですからクレームが発生しません。どちらかと言えば「ちょっと困っててさ~、ここに電話掛けたら助けてもらえるって聞いたんだけど今いい?」みたいな人が多かったです。私は一応前職での経験があったので最初の方は外部のお客様対応のような尊敬語なり謙譲語を使っていましたが、かなりフランクな話し方で対応している子が多かったです。むしろその方がちょっと打ち解けられることすらあるので、言葉遣いが失礼とかで怒られるような場面はありませんでしたね。
また、出世競争とも無縁でした。ほぼ全員がスターティングメンバーで電話応対業務が初めての人も多かったです。若い女の子たちはキラキラしたビルディングのキツくない職場で自由に働けていることに表向きは満足そうでしたし、30代くらいの人でも資格の勉強や他にやりたいことが別にあるという人が多く、良くも悪くもみんな派遣先の仕事に対してはドライで過不足がなければいいという認識です。「私が!」みたいな前のめりな人もいなければ、評価のために無駄な仕事が生まれるということもなく、平和そのものでした。
さぼっていた人がいたかどうかはわかりませんが、そもそも業務量も少なくて待機の時間が続くと雑談してても怒られなかったので気にする人はいなかったと思います。
何か解決できないような問題が起こればそれはすぐ隣の部署のITヘルプデスクにエスカレーションされました。
さしずめ、ちょっとした大学のサークルのような雰囲気です。
気の合う同僚
もちろん中には気の合わない人もおりましたが、おおむね楽しかった記憶として定着しています。もともと陰キャ(陰気な性格の人の意味)な私がこのキャイキャイした空間でわずかばかり(?)明るめの自分を演じるようなこともありましたが、気の合う同僚と出会えたことが大きな要因となっています。
私は二次元(漫画やアニメ)のオタクなのですが、おそらく彼女は三次元(実在している芸能人やアイドル)のオタクでした。
お互いジャンルが違うし、職場なのでそのものずばりのオタトークをしたことはないのですが、お互いに薄々相手が同類である兆候を感じとっていて(もしや……)(ひょっとして……)のように探りあっていて、ある時点で互いに確信したわけです(笑)。
ある日、社用パソコンのOSのアップデートが予定されていて、直後は問い合わせも増えるので事前に配布されるマニュアルを確認しながら彼女が言いました。
「またアップデートあるんだね。そんなにしょっちゅうしてくれなくてもいいんだけどな~。アップデートの度に企業でもそれに対応する仕事がこうやって増えることを考えたら、ちょっと勿体ない気がする」
私も手を止めて想像しました。
「全部の企業でアップデートのたびに同じような仕事が生まれるってことだもんね。そう考えると結構な仕事量だし、マイクロソフトがアップデートの頻度を下げてくれるだけでいらない人件費が浮いてかなりのコストカットができ……る…………(何かに気づく)」
「そうだよ、その方が…………(何かに気づく)」
「「ダ、ダメ!アップデートなくなっちゃダメ!」」
「そう!アップデート大事! I LOVE アップデート!」
「I LOVE マイクロソフト!」
「「これからもどんどんお願いします!(危うく自分で自分の首を絞めるところだった……)」」
……という感じでお互いに波長とか感性が似ていました(笑)。
もう一歩前進?兼務のお誘い
彼女と2人でする夜番は、あっという間に時間が過ぎていって楽しかったです。どちらから言うともなく、受電した問い合わせ内容を一方が復唱している間にもう一方が必要なことを調べたり、あるいは必要な物をそろえたりと協力して仕事を進めるようになっていました。
その連携が好意的なものに映ったのかもしれません。しばらくして派遣会社の担当経由で兼務を付けませんかと連絡がありました。
「ヤモリさんと三次元さんの二人でヘルプデスクの業務を一部受け持ってほしいという話が来ているのですけど、興味ありますか?」
受話器から時の声が上がりました。
続きます。
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次回:3500万円が貯まるまで⑨「人生最大のやらかし。仕事で評価されたと思った矢先……」
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3500万円が貯まるまで⑦「年収は下がったけど幸福度は上がった」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は社会復帰を試みたものの転職エージェントには相手にされず……というところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
前回:3500万円が貯まるまで⑥「無職が社会復帰しようとするとこうなる」
(一応)都内のアパート家賃3万円で再スタート
その後、地方から就職活動のため東京に引っ越してきました。派遣会社から「派遣登録はできても東京の案件紹介はこちらに住所がないとできない」と言われたためです。特に葛藤することもなく「じゃあ行くか」と軽いノリで上京してきました。
一応住所は東京都内のワンルームアパートでお家賃は3万円でした。
今と同じように築古で駅からは徒歩3分。二階の角部屋で窓が二つ。住み心地もよかったです。難点を挙げるとすれば洗濯機置き場が室外だったこととユニットバスとミニキッチンだったこと。単に好みの問題もありますが、ミニキッチンだけは失敗したと心の底から後悔しました。料理はぎりぎり作れなくもないのですが、洗い物が本当に面倒だったからです。箸や茶わんは問題ありません。でも、フライパンやお鍋はどうしてもすすいでいる時に水がシンクの外にこぼれて苛立ってしまい、結果自炊よりも外食や弁当の方が増えてしまいました。節約には痛かったです。
親には黙ったままだったので、この頃から保証人代行を利用し始めました。
資格は結局使ってないし、次もコールセンター勤務
ちなみに無職から復帰するために一日8時間勉強して取った通信系の資格ですが、今に至るまで結局一度も使っていません。
やはりというか、資格を取ったくらいでコールセンター経験しかない田舎娘がいきなりIT系の職に就くことは難しかったです。派遣のコーディネーターさんにも「やはり元の職歴と似たお仕事の紹介にはなってしまいますね……」と言われました。
まずは、3か月以上のフルタイムの職歴をつくって無職ステータスをはがす必要もありましたし、贅沢は言っていられません。家賃が激安だったとはいえ引っ越し費用も掛かりましたし、当面の生活費を調達できれば文句は言うまいとすぐに顔合わせして採用が決まりました。親には「正社員で転職した」と嘘報告しました😅。
片道一時間半の通勤時間だけど苦痛じゃなかった
当時、ドアツードアで片道1時間半かけて職場へ通勤していました。そういうと「大変だね」ってよく言われましたが、私自身はあまり気にしていませんでした。
というのも、北海道にいた頃の通学は、夏は自転車で片道1時間(坂多し)、冬は氷点下の雪道を駅まで20分歩いてそこから電車を1時間乗り継いでさらに学校まで20分は歩いていましたので、それに比べれば全然苦じゃなかったからです。
冬なのに温度がマイナスにならないってなんて素晴らしいのだろう、と感動しました。
電車だって3~5分に一回は来ます。通勤時間帯でも30分に一本、長いと2~4時間は平気でこない田舎の無人駅とは異次元の便利さです。時刻表を見ずに外出しても電車がすぐに来て、携帯やら本やらを見ている間に駅に到着しています。
労働時間が長いのは嫌だけど、通勤時間が長いのは気にならないタイプのようです。
年収は290万円にダウンでも満足感があった
当時の時給は1600円くらいだった気がします。派遣なので交通費込みで、大体年収290万円くらい。手取りならもっと少ないわけですが、私はすこぶる上機嫌でした。
仕事は前と同じコールセンター業務ではありましたが、ITヘルプデスク(主に社員からの問い合わせ対応する部署)への一次問い合わせ受けのようなものも1割程度は交じっていると説明されていたので、ほんのちょっとだけ階段を上がったような気がしました。
最初の就職ではどこか目指す場所があるでもなくずっと真っ暗闇の中でもがいている感じだったのに、今は暗闇の先に目指したい場所があってそこから針の先でつついたような光が漏れています。あっちの方向に向かって真っすぐ進んでいけばいい。半歩でも、一歩でも。そう思いました。
派遣先の職場環境が悪くなかったこと、定期的な収入で生活費の心配がなくなったこと、なにより毎日8時間仕事する”普通の人”になれたことが私に安心感を与えていきました。
全てがうまくいき始めている。そう感じました。この時は。
続きます。
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3500万円が貯まるまで⑥「無職が社会復帰しようとするとこうなる」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は無職で自暴自棄になっていた私がメンターと出会って再起のきっかけを得るところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
前回:3500万円が貯まるまで⑤「仕事が楽しいなんて思ったことない」
資格取得のために1日8時間勉強
異業種交流会で出会った人に影響を受けてもう一度働くことを決意した私ですが、すぐに就職活動を始めたわけではありませんでした。まず手を付けたのは資格を取るための自主学習です。とある求人募集で「〇〇(通信系の資格)がある方歓迎!」と書かれていたので、それを目指すことにしました。
「資格=就職へのパスポート」とは思っていませんでしたが、1年近くも無職同然で好き勝手な時間に寝起きしていた私がいきなりフルタイム勤務に戻ることはさすがに無理だろうと思い、まずは社会復帰後の生活リズムを取り戻すことにしたのです。
月曜日から金曜日まで毎日8時間、朝は9時から夜は18時まで。図書館に通って参考書を開くという疑似通勤の始まりです。1日目から8時間集中できないことも想定済みで、たとえ1ページも参考書が読み進められなかったとしても席から立ちあがらないことだけは続けました。お昼と小休憩の時間以外はまず「座る」ことが仕事の代わりです。
幸い次第に身体が慣れていってくれたため、どうにか参考書を2か月かけて一冊読破することができました。と言っても、1ページ目から知らない用語ばかりで全く意味が分からなかったため、初回は「理解していなくてもとりあえず読み切る」→次に「頻出していた単語の意味を調べながらもう一回読む」という方法で2回に分けてです。知らない単語でも一回しか出てこなかったキーワードは重要ではないと判断して無視しました。
その次に、試験の練習問題をひたすら解きました。参考書を読んだ後とはいえ、やはり問題文の8割は意味が分かりません。すぐに回答と解説を見ましたがそれでもわかりません。解説の中に出てくる単語の意味を調べながら少しづつ暗記していきました。その日解説を読んだ問題は次の日の勉強の前にもう一度見直して記憶を定着させてから次の問題に取り掛かりました。問題集は参考書よりも薄かったので今度は一か月で終わりました。頭が勉強のサイクルに慣れてきてくれたのもありますし、わからないことの辛さが軽減されてくると純粋に楽しい気持ちも湧いてきました。
ネット上に本番の試験環境を再現した模試のサービスがあったので、それをひたすら2週間くらい繰り返した頃くらいに本番受験をして見事一発合格できました(制限時間ギリギリで、適当に回答した問題もあったので滑り込みセーフだったと思います)。
転職エージェントには門前払いされました
満を持して就職活動の再開です。本当のところ、資格を取ったのは自分に自信をつけるためでもありました。無職期間の長かった私が面接で厳しい質問を投げかけられることは容易に想像できましたし自業自得だから仕方のないことなのだけど、針のムシロのような視線に耐えられるだけの何か支えが欲しいと思っていたのも資格にこだわった理由の一つです。
ですが、結果として転職エージェントの利用はできませんでした。
「現在、〇〇様にご案内できる求人はありません。」
すでに退職してから1年半が経過しようとしていた私には書類選考すら受けられません。無職期間は3か月以内、長くても半年以内でなければ足切りをされてしまうようです。目の前の現実に落胆する気持ちもあったものの、早々に正社員募集は中小企業のホームページから直接応募、並行して派遣会社への登録に切り替えました。足切りはされましたが、バイトでも非正規でも直近でフルタイム勤務の経歴があれば無職とはみなされなくなるという情報に一縷の望みをかけました。
この時、私が就職希望先の土地として選んだのが東京です。
その頃、世間にはリーマンショックによる不況の風が吹き荒れており、私が在住していた地方都市よりも求人が多くてその後の転職活動をするのにも有利な条件がうんたらかんたら……というのは嘘です。
すみません、ただ行ってみたかっただけです。いきなりIT系の職種に転向を決めたのも、ただやってみたかっただけです。勝算なんかありません。
……いや、だってね? 私この時、新卒で入った会社3年持たないで辞めて2年弱無職ですよ?
いくらもう一度やり直そうと思えたからって、いきなり「ここから私の人生が夢に向かって開けていくのよ!リベンジリベンジ!」なんて思考にはなれないのですよ。正直そんな都合よく物事が好転するとかこの時点では全然思えてなかったです。
ただあと2~3年くらい最後の日を延期してみてさ、どうせもう終わったと思う人生なら、何をしたところで失う物もないわけだし、銀行強盗を思い立った時と同じようにそれまで出来なかったことを最後に一通りやっておいた方が後悔はなさそうだなって思っただけなんです。
「セミリタイア資金3500万円が貯まるまで②「ぶっちゃけ転職です」」で地方在住の私が転職したほうがセミリタイアしやすかった理由(ドヤァ)とか書いたけど、あれは結果論なんですよね。ごめんなさいね、思わせぶりなこと書いて。
たまたま「東京は住んだことないから一度は行ってみたいなー」って思ってたから東京だっただけで、「沖縄っていいよねー」って思ってたら沖縄に行ってたかもしれません。そしたらまた違う人生になってた可能性もあります。
自信がつくようなことしてないのに自信なんて持てません
まじめな話、この時は5年後10年後の未来の事なんて描けるほど自分に自信を持ててはいませんでした。資格取ったって言っても国家資格とかじゃないし、それだけで食えるような立派な物でもないし、どう見方を変えたところで無職になって”普通の人”のレールから外れてしまったことに対する後ろめたさはちょっとやそっとのことでは拭えませんでした。人からなんて思われるか怖かったし……そう、すごく怖かったです(思い出したらちょっと泣いちゃった😢)。
この恐怖を克服するためには身につけなければいけない事もやらなければならない事もたくさんあったけど、まだそのどれも私は持っていなくて、それなのに自信だけ持つなんて土台無理な話でした。
それでも、嘘でもごまかしでも未来への希望がつくれなかったら今の自分はいなかったのも事実です。もし今、未来を描けなくて辛くなっている人がいるなら、将来の夢も立派な未来計画も何もなくていいので、やり残したことが本当にないのか考えてみて欲しいです。そのことが巡り巡って蜘蛛の糸のように未来を手繰り寄せる事もあるということを知っておいてもらえたらなと私ヤモリは思うのです。
続きます。
次回:3500万円が貯まるまで⑦「年収は下がったけど幸福度は上がった」
あとがき
このブログにコメントやスタンプを残していってくれる方はすでにセミリタイアしている人が多いのですが、私としてはかつての自分のように身も心もボロボロになってセミリタイアブログにたどり着く人もいるんじゃないかとどうしても想像してしまうようです(^^;
亀進行ですが、お付き合いいただきありがとうございます。
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3500万円が貯まるまで⑤「仕事が楽しいなんて思ったことない」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
この記事は私が借金270万円から始まって15年で3500万円を貯めてセミリタイアするまでを連載形式で書いています。前回は新卒で入った会社を3年持たずに辞めて無職になったところまででした。その続きです。
初回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
前回:3500万円が貯まるまで④「新卒で入った会社を3年持たずに退職」
嘘をついて働いている振りをする
ところで、当時の私は自分が仕事を辞めたことを誰にも言っていませんでした。
親にも、恋人にも、友達にもです(職場の元同僚にはアルバイトをしていると言っていました)。
幸い親も恋人も遠方におりましたし、貯金がなくなったらそのまま人生をドロップアウトするつもりでしたので、わざわざ面倒くさいことにするよりこのまま黙っていようと思いました。時折来る電話には嘘をついて働いている振りをしていたわけです。
「仕事どう?」の電話に「まあ、普通だよ」なんて返事をするたびに心臓がつぶれそうになりました。せいぜい2~3年の事だと思って嘘をつき続けました。途中で付き合っていた人にはばらしてしまったのですが、親には通算で2年以上無職になったことを黙っていました。なかなか悪い人間なんですよ、私は。
なので、当初はできるだけいつも通りを装って、知人からの飲みの誘いなども断りませんでした。ただでさえ収入がない中で楽しくもない飲み会に参加するなんて苦行でしかないですが、とにかく怪しまれたくない一心でした。
そんな時参加した異業種交流会的な飲み会で出会った人が、私の運命を大きく変えることになります。
仕事が楽しいなんて思ったことない
「仕事ほど楽しい遊びはない」と、その人は言いました。
士業で独立して事務所を構えていた人で、従業員も何人か抱えていたようです。
「仕事ほど楽しい遊びはない」……ってどういうことだろう? 最初はその意味が分かりませんでした。
仕事はつらくて苦しいもののはずです。
日常の生活の糧を得るために耐えるべきものです。
楽しいことは仕事以外のところにあって、働くのはお金のためと割り切っている。周りにはそんな人が多かったし、私ももちろんそうでした。
今だったら「ここからマルチの勧誘に持っていくのかな?」と勘繰るところですが、15年前の話なのでそんなことは思いつきません。ただ、飲み会で若い女の子が何人かいた(私もですよ?)ので「はいはい、陽キャアピール乙www」くらいに思って聞き流していました(失礼!)。
胡散臭いとさえ思いながら心のバリケードを全開にしていたのですが、話を聞いているうちに考えが変わっていきました。
聞いてると、話の内容に一貫性があってブレがないんですよね。
どうもこの人は本当にそう思っているらしいということが私にも薄々伝わってきました。
その人の話を聞いているうちに、気が付いたら口に出していました。
「私は仕事が楽しいとか思ったことないです。だからそんな風に考えられる人がすごく羨ましいし……私とは違う種類の生き物なんだなって思いますね」
与えられた仕事をうまくこなすことさえ出来ないのに、「仕事が楽しい」と思えることは一生ないと思う。確か、そんなことを言っていたと思います。
いつも愛想笑いと当たり障りのない会話だけだった私がこんな風にぽろっと本音が出てきたのも、「どうせ後の事なんか考えなくていい。どうなったっていい」と自暴自棄になっていた時だったからかもしれません。
合わない歯車と思考のタガ
そんな私にその人の言った言葉が今も耳に焼きついています。
「仕事って与えられるだけじゃなくて自分でつくることもできるんだよ」
「思考のタガを外して考えてごらん」
「ヤモリちゃんにもできると思うよ。話しててそう思う」
「仕事を創る」という発想はそれまでの私にはないものでした。
正直に言えば、この時点でその意味するところがはっきりと分かっていたわけではありません。でも、社会という仕組みに歯車のようにぴったりとハマってくるくると回って見せる、それだけが生きる術だと思っていたところに、真っ白なキャンバスが突如として現れた気がしました。
思考のタガを外す。
仕事とは辛く苦しく生きるためには生涯続くものなのだというイメージが、もしかしたら単なる私の思い込みかもしれない。他の解釈の仕方があるのかもしれない。
そういう疑いを最初に持たせてくれたのが、間違いなくこの時だったと思います。
それから15年後の今、フリーランスとして私は独立しました。
今はまだ業務委託が中心ですが、与えられた仕事を卒業してこの先50年でどんな仕事を創り出していけるだろう? そんなことを考えながらこのブログを書いています。
私の中の独立という種に水を注いでくれたその人に、心から感謝いたします。
続きます。
次回:3500万円が貯まるまで⑥「無職が社会復帰しようとするとこうなる」
あとがき
仕事って辛いイメージがあると思うんですけど、それって本当は労働が嫌なだけなんじゃないかと思うんですよ。
労働……生活や消費のために仕方なく行われる生産活動。
仕事……価値を生み出すこと、創造すること。
例えば、餓死しないためにご飯を作るのは労働だけど、誰かを喜ばせるために美味しい料理を作りたいと思ったらそれは仕事になる。みたいな。
労働が嫌いな人は多いけど、仕事が嫌いな人はあまりいない気がします。
以上、ヤモリでした。
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3500万円が貯まるまで④「新卒で入った会社を3年持たずに退職」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
前回は私が仕事のできない落ちこぼれだったことで病み、ついには人生のリタイアを決めてしまうというところまで書きました。その続きです。
新卒で入った会社を3年持たずに退職
その後まもなくして新卒で正社員入社した会社を退職しました。3年持たなかったです。落ちこぼれ続けた私は、引き留められることもなく……すんなりと退職です。
毎日、同じ会社に通って、パソコンの前に座ってヘッドセットを付けて、秒単位でステータスを監視されながらただただ電話を取り続ける日々に、「この先40年近くも同じ毎日を続けるのだろうか?」とふと思ったことがあります。
周りの先輩方はその業界の未来に対して意見を持っていたり、スキルを磨くことにやりを感じているように見えました。でも、私はどうしてもそういった展望を持てなかったんです。電話応対において優れた仕事をする先輩方を尊敬しておりましたが、私自身がそうなれるような気はしませんでしたし、ぶっちゃけた言い方をすれば業界そのものにもあまり興味を持てませんでした。(社会にとって必要であり貢献していることは理解していましたが、個人的な食指が動かなかったという意味です)
上司との定期面談で思い切ってそのことを相談したことがあります。
「どうしたらもっとこの業界に興味を持てるようになるでしょうか? そうしたら先輩方のようにもっと仕事を好きになれると思うんです」
上司は言いました。
「そんなことで悩まなくていいよ。仕事は仕事だもの。みんな別に好きだから仕事しているわけじゃないと思うよ?」
私は「そうですよねー」みたいな相槌を打って、面談はそこで終わりました。
上司はもしかしたら深刻に考える必要はないと元気づけたかったのかもしれません。ですが、結果的にはこの会話がきっかけとなって私は退職を決めることとなりました。
頑張っても成果は出せず、頑張り続けたい理由も持てなかったからです。
いざ人生からリタイアすることを決意してみると、段々楽しくなってきた
退職時点でいくらかの貯金はあったものの、到底その後も暮らしていけるような金額ではありません。落ちこぼれの私は就活したところでまた同じことを繰り返すだけだと容易に想像できましたから、「貯金が尽きた時が命日」だと思って辞めました。
ですが、いざ「もう頑張らなくていいや」と思うと、今度は段々ワクワクしてきました。
できるだけ苦しまないドロップアウトの仕方を調べながら計画を練っていくのですが、「〇炭を買う時はサンマと一緒に買うと怪しまれない」とかいう雑学もこの時知りました。「物件の中や電車への〇び込みは後処理に迷惑がかかるので〇〇〇がいい」とあったので、そこまで行くための交通手段を調べながらどうせ最後なら途中で観光でもしていこうかなと考え始めるくらいでした。
考えてみればそれまでずっと私は「社会の歯車になるためには〇〇できなければいけない。でも、できない。じゃあ、どうすれば……」と相手の要求に応えることばかりで、自分のしたいことなんて微塵も頭にありませんでした。なので、例えそれが自分の最後の日を決めるという作業であっても本当にやりたいことのためにあれこれと活動できることが久しぶりで、まるで遠足の準備のように楽しかったのです。
誰かに言われたからでも、役割を割り当てられたからでもなく自分自身が望んでいることをしようとしている。それだけで気分が高揚しました。
どうせ最後なら……〇〇しよう!
どうせ終わらせるつもりなら、最後になにか普通ならできないようなことをしてみようか。そんなことを考えました。
普段の私なら出来そうもないこと……。
今までやったこともないようなこと……。
普通はやらなそうなこと……。
「う~ん……銀行強盗とか?」
(すみません。この頃、海外ドラマのプリズンブレイクにハマってたんです)
でも別に銀行強盗はそこまでしたいことじゃないなと思ってやめました。
冗談は置いといて、超高級料理店でおなか一杯食べるでも、借金して世界一周旅行でも、バンジージャンプでも、後のことを考えずに何かできるのは今だけだなと思うと、何もしないで終わらせてしまうのはそれはそれで勿体ないような気がしてきました。
続きます。
次回:3500万円が貯まるまで⑤「仕事が楽しいなんて思ったことない」 - ヤモリ式おひとり様セミリタイア術
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3500万円が貯まるまで③「仕事ができない子」
前回:セミリタイア資金3500万円が貯まるまで②「ぶっちゃけ転職です」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
前回、地方から上京・転職したことで年収がMAX800万円近くまで上がっていくことになると書きましたが、ここで時間軸を少し戻します。最初に言っておかなければいけないのは、私が転職したのは「優秀だったから」ではなくその逆で「恐ろしく仕事が出来ない人だったから」ということです。
コミュ障がコールセンター勤務になっちゃった
新卒でコールセンターのオペレーターになったのですが、残念な事に私はコミュ障※でした。
※コミュニケーション障害の略。他者とうまくコミュニケーションがとれないこと、コミュニケーションが苦手なことの意味。正式な病名ではなくネットスラング。
元来、雑談が苦手で人とまともに会話できません。学校でも飲み会でもほとんどしゃべりません。(話すことがない)
それまでアルバイトもまともにしたことがないので、仕事上の基本的なコミュニケーションすらまともに取れないありさまでした。奨学金を借りなければ大学に通えなかったこともあり、卒業後はどうせ返済のためにたくさん働かなくちゃいけないなら今だけは自由な時間が欲しいと思って4年間殆どバイトしていなかったのです。幸い(?)実家が貧しかったので授業料は免除制度を使うことができ、家賃を含めた生活費を2か所からの借入金で賄っていました。
仕事はOJT方式(という名の戦場放り投げ)
仕事はOJT方式でした。つまり、なにもわからないまま実践でいきなり電話を取るのがその職場のやり方でした。当然、その業界の知識なんか持っていません。
電話の向こうのお客様は知らない専門用語とかバンバン出してくるし、こちらが知っているつもりでどんどん話も進めちゃう。対する私は、問い合わせに答えるどころか何の話かまったくわからないし、何を聴きとれば十分なのかも判断できません。だからいつも電話を切った後はSV(=スーパーバイザー。オペレーターたちを監督するチームリーダーみたいな人。教育係)に「なんでそんなことも聞いてないの💢」って怒られていました。
「電話に出る以上プロとして出ているのだから、『知らない』と言ってはいけない」って言われたけど、そんなの無理! お客様が不安になるからってことなのでしょうが、お客様以上に私の方が不安感でいっぱいです。何を聞かれても「わかる」とも「わからない」とも言えないので無言になってしまい、お客様からは怒られるしSVからも怒られます。もう毎日怒られてばっかり。
今なら「即答は出来かねるのですが、確認して折り返し致しますので内容だけ先にお伺いしてもよろしいですか?」と言って用件だけ聴きとって調べてから折り返せばいいと思えるのだけど、その頃はこんな言い回し一つ思いつきませんでした。聞き取り項目が足りなかったとしても、「あと何を聞けばゴールに近づけそうか」確認してから折り返せばいいことです。でも、この頃は解決までの流れをイメージすることができないので『何回も電話してしまうことになるかもしれない。そしたらお客様を不機嫌にさせてしまうかもしれない』と思って、いらないことまで聞きすぎたり聞かなすぎたりしてしまっていました。
それか、「こんな時どうしたらいいかわからないんです。〇〇さんだったらどうしますか?」ってそれこそSVさんに相談すればよかったんでしょうけど、コミュ障なのでそれも聞けませんでした😅(毎日怒られている相手に話しかけるとか無理💦)
なんて言うかもう、コミュ障なのにコールセンター勤務選んだ時点でいろいろ間違ってた気がしますが、結果的に電話が怖くて取れない状態にまで追い込まれていくこととなります。
電話が怖い
やがて、朝目が覚めてもベッドから起き上がれないほど私の仕事と電話への恐怖心は膨らんでいきました。自分がこんなに「仕事ができない子」だとは思わなかったことのショックもあったと思います。
一番困ったのは残業禁止でマニュアルも自宅に持って帰れなかったことです。わからなかったことを復習することも調べる暇もなく、また明日も何もわからないまま電話に出なければいけません。
学生時代、テストの点数は取れているのだから仕事だって同じようにできるはずだと思っていたのに、教科書がなくなった途端勉強の仕方がわからなくなってしまっていました(そもそも暗記だけでどうにかなるものじゃないですしね)。
唯一わかるのは、私が果たすべき仕事もこなせない無能な人間だと周囲からも思われているだろうということだけです。
自営業でないなら会社で働くことは、生きていくうえで必要なことです。そうしなければ給料はもらえず、家賃は払えず、服は着られず、ご飯を食べることはできません。この社会で生きていけません。
人生からのリタイア
「私はこの社会で生きるための要件を満たせない無能な人間だった」
「与えられた仕事もこなせない。社会の歯車になれる能力がないなら、もう生きてはいけない」
「つらくても頑張らなきゃいけない。みんなだってそれに耐えているんだから。私だけ甘えたことは言っていられない」
「でも……怖い」
感情のせめぎあいの中、一向に未来への光が見えないままでした。
もう、これ以上頑張れない……人生からリタイアしよう。
そう思いました。
続きます。
次回:3500万円が貯まるまで④「新卒で入った会社を3年持たずに退職」
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セミリタイア資金3500万円が貯まるまで②「ぶっちゃけ転職です」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①の続きです。
- 年収320万円だと、55歳までセミリタイアできない
- 投資ではなく転職
- 地方在住の私が転職したほうがセミリタイアしやすかった理由
- ①地方と都会では生活費が変わらない
- ②コールセンターのオペレーターじゃ儲からない
- そしてIT職に転職へ……年収は〇〇〇万円に
- あとがき
年収320万円だと、55歳までセミリタイアできない
前回、私が手取り月収18万円のコールセンターのオペレーターだったと書きました。
当時の推定年収はボーナス込みで320万円程度(正社員)です。
月々2万円の奨学金を返済しながら月10万円生活をした場合、ボーナスを全て貯蓄にあてたとしても年額104万円の貯金がいいところ。3500万円貯めるには33年以上かかります。22歳から休むことなく働き続けたとしてもセミリタイアできるのは55歳です。
その上、一切の贅沢をしないままで労働のストレスを抱えながら55歳まで働き続けられたかどうか? ……それも難しかったと思います。
投資ではなく転職
この先のネタバレをすると、ぶっちゃけ転職しました。セミリタイア資金を増やした手段は投資ではありません。地方から東京に出て行って転職しました。
元の会社にそのままいた場合、年功序列である程度昇給も見込めたとは思いますが、それでも限界はあったと思います(さっき新卒当時の会社を調べたら平均年収は350~400万前半くらいでした。ボーナスは相変わらず低く退職金も少ないようです)。
地方在住の私が転職したほうがセミリタイアしやすかった理由
当時の私が転職したほうがセミリタイアしやすい理由は二つありました。
- 地方は給与が安いが、生活費は関東に住むのとあまり変わらない。
- オペレーターのままだと年収アップが難しい。
ひとつづつ説明します。
①地方と都会では生活費が変わらない
一般的に地方は生活費が安いと言われ、実際に関東の企業よりも地方企業のほうが平均年収は低いです。ですが、私の体感では地方も東京も実際の生活費はそんなに変わらないと思っています。
家賃 東京でも家賃3万円の物件は見つかる
まず、家賃は関東でも条件を落として安いところを探せばそれなりに見つかります。事実、私が上京した直後の東京都内のワンルームアパートは家賃3万円でした。職場まで片道1時間半でしたが、駅徒歩3分で住み心地はよかったです。
食費 自炊なら差はほぼない
次に、食費はスーパーで買い物をする分にはあまり値段の違いはありません。確かに地産のものであれば時期によっては地方の方が安かったように思いますが、微々たる差です。大きな差が出るのは外食の時で、自炊をするつもりなら大きな違いは感じません。
車の維持費 ないと暮らせません
そして、地方の生活費を押し上げてなお余りあるのが車の維持費と暖房代です。
関東に住んでいれば電車で大体どこへでも行けます。というか、どこにでもお店があるのでそもそも電車に乗って遠出する必要性を感じません。地方にいた時は車がないと本当に不便で、贅沢をするつもりがなくても車は必需品でした。私は運転が「壊滅的にドへたくそ」だったので誰かに乗せてもらうかバスを利用していましたが、バスも本数が多いわけではないので買い物は休みが一日潰れる覚悟でした。そうしなければ必要な物が手に入りません。
暖房代 家賃が安くても灯油代が高い
寒い地方に住む場合はさらに暖房代がかかります。エアコンだけで乗り切ろうとすると、月に数万円は電気代を覚悟しなければなりません。それよりも灯油ヒーターを使った方が暖かいのでそうしていましたが、灯油代も月に1万~1万5千円くらいはかかります。なお、使わずに我慢するという選択肢はほぼ死を意味します。
【結論】節約生活なら地方と都会の差はほぼない
結局のところ、車の維持費や暖房代を含めるとトータルでは地方も関東も差が出ないのではないかというのが私の経験からくる結論です。
節約をしようと思えば関東でも同じくらいの生活費に抑えられると思います。東京の方がお金がかかるというのは、便利な分贅沢をしようと思えばどこまでも上限があげられるということで、地方で受ける安価なサービスのそれと同じ水準と言うわけではないのです。
少なくとも、車なしの節約生活をするうえでは選択肢の多い東京の方がコスパが良いように感じたほどです。
②コールセンターのオペレーターじゃ儲からない
収入が上がる過程で職種もコールセンターのオペレーターからIT職に変わりました。オペレーターというのは求められる技術は高いのですが、サービスを提供できる人数には物理的な上限があります。
例えば同じ100時間の仕事をしても、WEBサービスを一個作ってネット上の不特定多数の人に使ってもらう場合と、電話口で一対一で話す場合とでは前者のほうが圧倒的に有利です。
電話で一人あたり15分でご案内をしたとして100時間なら400人。スキルアップして一人1/3の5分でご案内できたとしましょう。それでも1200人が物理的な限界です。しかし、後者には実質的な上限人数はありません。1万人でも100万人でも1億人でも、それぞれにサービス提供して代価を得られる可能性があります。
職種だけで実際の年収が上がるわけではないですが、独立したり副業のしやすさから見てもIT職はうってつけでした。
そしてIT職に転職へ……年収は〇〇〇万円に
地元企業に新卒正社員で就職してから数年後。
前述した通り私は上京して転職をするわけですがはたして年収はいくらになったでしょうか?
400万?500万?
いいえ、290万円です。
……ここまで期待を煽っておいてなんですが、大した学歴もなければコールセンター経験しか職歴がないような小娘が田舎から上京してきて「IT職に就きたいんです」って言ったからって、まあ普通に考えて仕事が見つかるわけないんですよね。
上京後の年収は30万円ダウンしました。
しかも派遣社員だったので交通費が時給に含まれていて、手取りはもっと減りました。
「ここからセミリタイアなんて絶対無理じゃん!」
そう思ったあなた、もう少しお待ちください。
ここから年収はMAX800万円(にちょっと足りないくらい)まで増えていきます。
次回に続きます。
あとがき
もう少し短くまとめたかったのですが、長くなってしまいました。途中で読むのを諦めた人が多いのではないかと心配です💦
あと、地方よりも関東がいいような書き方をしましたが、地方を貶める意図はありません。北海道出身の私から言わせてもらえば東京のカウンターで食べる高級寿司よりも北海道の回転寿司のほうが美味しいです。あくまでも当時の私が年収アップを狙いつつお金を貯めるなら、という文脈で書いておりますので多めに見てください😅
以上、ヤモリでした。
関連リンク:セミリタイアは結婚とよく似ている。正解でも不正解でもない生き方の選択とは?
関連リンク:セミリタイア決断に影響を与えた人物二人
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セミリタイア資金3500万円が貯まるまで①「マイナス270万円からのスタート」
ごきげんよう、おひとり様セミリタイア中のヤモリです。
現在、資産3500万円を達成した私ですが、22歳の新卒当時の手取りは20万円に届きませんでした。そこから15年でどうやって3500万円ものセミリタイア資金を貯められたのかを書いてみようと思います。
これからセミリタイア資金を貯めようと思う人は参考までにご覧くださいね。
※身バレ防止のため一部フェイクを入れることがあります。ご了承ください。
初任給の手取りは20万円未満
4年制の大学を卒業後にそのまま地元企業に就職しました。就いた職業はコールセンターのオペレーターで給料は決して多くはありませんでした。初任給の手取りは20万円未満でたしか18~19万円くらいだったと思います。1年目の税金が引かれていない状態でその金額なので、2年目はもっと少なかったでしょうね😅 それでも地元では名のある企業だったようで、地方都市の初任給としては悪くない方でした。
生活費は月13~15万円前後と一人暮らしの平均からそう遠くありませんでした。無駄遣いしなければ月に数万円の貯金もできます。
マイナス270万円からのスタート
当初の貯蓄額は30万円ほど……ではなく-270万円です。奨学金を使って大学に通っていたので、その返済が300万円ほどありました。現在は完済していますが、3500万円への道はマイナスからのスタートでした。
といっても、その頃から「よし、セミリタイアのために3500万円貯めるぞ!」と思っていたわけではありません。
むしろ、物欲がないのに「労働に耐えたご褒美として何か買わなきゃやってられない」と思って、給料日が来るたび、ボーナスが入るたびに無理にでもなにか買うものを探していました。
このころお金を使っていたものの代表はカバン、化粧品、服などです。
3000円のコスメは高い?安い?
当時の私はたいして使いもしないのに3500円のマキアージュのアイシャドウとか持ってました(ほとんど使わずに捨てることになりました)。このころ買っていた化粧品は下地もファンデーションも、基本的に3000円前後のものが多かったです。安月給の私がなぜこんなに高いコスメをせっせと買っていたのか? おしゃれにすごく気を使っていたわけでもなければ、化粧品にこだわりを持っていたわけでもありません。当時読んでいたファッション誌に当然のように「社会人なら最低でも3000円くらいのコスメを使いましょう」と書いてあったからです。そして、その雑誌の中では5000円や1万円のラインの化粧品特集も組まれていて、松竹梅で言うと3000円のコスメは梅です。そうするとあら不思議、3000円の化粧下地がとっても安い買い物に思えてくるのです。
そしてカバンもなぜか「このくらいの年齢ならこの値段が妥当ですよ~」みたいな特集が組まれていて、そこでは3万も5万もするブランド物のバッグが紹介されていました。そこまではさすがに高いと当時の私も感じたのか、あまり有名ではないブランドの1万円バッグに変更しましたが、「1万円の通勤カバンはリーズナブルな方。節約できたっ!」って本気で思ってました。
ファッション誌に書いてある年齢と価格との結び付けを「あ、これが社会の普通なんだ。じゃあ、私もそうしなきゃ」ってなんの根拠もなく信じていたんです。若いって怖いですね^^;
貯蓄のきっかけ
その後、特にこだわりのない義務感だけの買い物をやめて貯蓄に励むようになったのは、物を買っても心が満たされなかったからです。
「欲しい物がないのに物を買わなければならない。
そのためには好きでもない労働をしなければならない。
なんでこんな望んでもいないことをしているんだろう?」
うすうす気づいていた違和感に、自分をごまかすのもついに限界です。
でも、そうすると今度は「じゃあ、何のために生きるんだろう?」という疑問も頭をもたげてきます。物欲だけでなく、結婚や子供を持つことにも憧れを持てなかった私はこのころから人生に疑問を感じていて、何度となく鬱傾向になっていきます。
ひとまず、考え方をこのように変えました。
「無理に今お金を使うのをやめて、将来なにかやりたいことができた時のために貯めておこう。ギターが弾きたくなるかもしれないし、旅行に行きたくなるかもしれないし、資格を取るための学費が必要になるかもしれない。そうなった時に本当に買いたいものを我慢せずに買えるようにしよう」
本当に欲しいものが見つかるまで、買うことを保留にしたのです。
これはよい判断でした。
それまで買い物で労働のストレスを発散してもちっともスッキリしなかった心が少しだけ楽になりました。特に目標額は決めていなかったのですが、貯金が増える度に「これがあったらあんなことやこんなこともできるかな」と空想する楽しみが増えました。
続きます。
あとがき
ナンバリングすると続きを書けなかった時に面倒くさくなるのでどうしようか迷ったのですが、連載に挑戦です(不定期更新です笑)。思い出しながらなのでエピソードの順番や時系列などは前後するかもしれませんが、年収が上がるまでの経緯や考え方の変化なども綴っていこうと思います。
以上、ヤモリでした。
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